ここに確かに存在している感情の証明

箱推しの村上担。特に三馬鹿に湧きがち。

安田章大くんの今とこれからを占星術で見てみた

ご無沙汰しております、ゆづきです。
気付けばもう来週の日曜日にはツアーが始まりますね。
私は今回、札幌と大阪に出没致します。
関東人なのに東京は非参戦という(笑)
すばるくんの脱退発表以来、今回のツアー参戦は自分でもどうなってしまうのか分からないところもあり…ざわざわが収まりません。
今月に入ってすばるくんが続々とレギュラー番組を卒業していくのを見て、改めてこれは現実なんだなと痛感させられる今日。
そんな中、やすくんからメッセージが届きましたね。
メール本文の安田章大の体調に関するお知らせ」という無駄のない研ぎ澄まされた一文に正直青ざめましたけど(とんでもなく悪い想像をしてしまった)、前向きなご報告だったのでとりあえず安心。
それにしても、去年の初めに腫瘍摘出をしていたとはびっくりです。
スケジュールを思い返してみると、その後すぐ舞台で夏はフェスとジャム魂、+レギュラー番組に特番、ツアーの打ち合わせも始まってたはず…よくやったよ、あんたぁ凄いよ。
動画の中で「こんな弱い僕を」と言っていたけど、全然弱くなんかないさ。
心が強くないと、あそこまで普通には振る舞えないはず。
ボク。の記事も読んで、改めてやすくんの優しさと誠実さに感嘆致しました。

なんだかエイトさん、2018年は乗り越えなきゃならないものがたくさんあるようですね。
きっと転換期なのでしょう。
これは何?天王星冥王星あたりの影響かな??
すばるくんと∞の関係をホロで読んでいた矢先に、このお知らせですよ。
やすくんの件はあとで改めて読もう…と思ってましたが、脳の腫瘍と聞いてふと気になりました。
そういえば、やすくんは出生図で月が牡羊座の12Hだったな…と思い当たりまして。
まさかと思い、色々見てみたらまさにでした。
今回は、彼の今とこれからについてホロスコープで見ていきたいと思います。
※がっつりご病気と怪我について触れていますので注意。
私はプロの占い師でもないただの素人ですが、良いことも悪いことも含めて人生の浮き沈みと向き合う為にホロを活用している人間です。
決して悪意はありません。


前回、私はやすくんの出生図の分析記事を上げました↓

the-fatal-believer-dir1012.hatenablog.com


今回は過去、現在、未来を見ますので出生図の他にソーラーリターン(太陽回帰図)とプログレス(経過)を使います。
ソーラーリターンは一年かけてホロスコープをぐるっと一周してきた太陽が出生図の太陽の位置に戻ってくる日、つまり誕生日ですね。その日から翌年の誕生日までの一年間の運を読む方法です。
その年に起きる出来事が、リターン図に現れます。
プログレスは生まれた日からどれくらい星が動いたかで「変化」を読みます。
占星術の未来予測の基本は、このソーラーリターンとプログレスです。
この2つの図と出生図を照らし合わせ、総合判断していきます。
相変わらず専門用語満載なので形成とか意味分からん!!という方は解説だけお読み頂ければと思います<(_ _*)>


略語解説>>>>
N→ネイタル(出生図の星)
R→リターン(ソーラーリターンの星)
Pプログレス(プログレスの星)
H→ハウス(ホロスコープ上に12分割されているお部屋)

用語解説>>>>
アスペクト→星と星を結んでる線(主に調和を現すソフトアスペクトと不調和を現すハードアスペクトに分けられる)
→星と星がぴったり重なり合うこと(とても強い影響を受ける)
→星と星が反対側でぶつかり合うこと(アスペクトとしてはハードに分類されるが、必要な衝突もある)


まずは、やすくんの2016年リターン(2016/9/11~2017/9/10)
腫瘍摘出手術は去年の2月ですから、この年のリターンにその出来事が現れているはずです。

リターン図はコチラ↓

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左下~中央、2H蟹座の海王星、4H牡羊座天王星がありますね。
このリターン図にやすくんの出生図を重ねると、海王星天王星のちょうど中間に出生図の12H牡羊座の月がきます。

R海王星/天王星=N月(直接)

他に外科手術を意味するR火星/天王星=ASCも形成されているのを見ると、この海王星天王星に挟まれたN月が頭部(牡羊座)にある隠れた脅威(12H)を示していることは明らかです。

ですが、N月には反対側から天秤座のR木星が衝しており、これによってR天王星/海王星=木星(準直接)を形成、さらにR.ASCはN木星に合です。
これらは医師(天秤座)による手術の成功(木星)と読めます。
R木星はやすくんの出生図の6H(健康)の位置にきます、いいお医者様に恵まれたのでしょう。
N月はもともとそこまでハードではないので、この腫瘍が今後も猛威を振るうということはないと思います(実際、良性で全部摘出できたと言っていましたし)。
この月がもし出生図でかなり深刻なハードが見られていた場合は、もっと危険な状態になっていたかもしれない。

ソーラーリターンは太陽があるハウスがその年のテーマになります。
2016年のやすくんの太陽は9H。
9Hには他にも金星、水星、木星があり強調されています。
2017年末にはNHK Worldへの出演もあったし、海外進出(9H)の話が出てきたのはもしかしたらこの辺だったのかな?


続いて2017年のリターン(2017/9/11~2018/9/10)。

リターン図はコチラ↓

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深刻とまではいきませんが、特にハードが目立つ年です。
まず目を引くのが、ASCに正確に合している天王星とMCに合の冥王星
天王星は予期しない出来事、冥王星は強制力。

R火星/土星=R.ASC、天王星海王星

火星はRのASCルーラー、天王星は仲間を現す11Hルーラーです。
11HのR海王星はNでも11Hの位置にきており、N.ASC/MC=R海王星(直接)を形成。
さらにやすくんのN.ASC/MCは出生図で=冥王星がありますので、R海王星とN冥王星は135度という不調和な角度を起こしています。
N冥王星は6H。
これらの形成を全てひっくるめると、渋谷すばるの突然の脱退(11Hルーラーの天王星)と、それに対する戸惑いや不安(海王星)、怪我による活動の制限(冥王星)と読めます。
火星/土星ですから、土星の影響によって苦痛を伴います。

骨折の表示は恐らくN太陽/土星=R冥王星(山羊座)かと思われます。
身体の部位を星座で現すと、骨は山羊座です。
R冥王星はICと衝ですから、自宅での出来事。

ハードが目立ちますが、R火星にはR太陽/金星(直接)の形成もあり、N木星が正確に調和しています。
これは救いです。
R金星は7H(人間関係)ルーラーで太陽は6H。
6Hには木星もあり、7Hの近くにきています。
メンバーも含めた職場(6H)の人間関係の幸福、さらにR太陽はR冥王星と正確に調和していますから、これはいい意味の強制力です。
社会復帰への意欲と、それに向けたリハビリの表示でしょうか。


次にプログレスを見てみます。
まず、すばるくんの脱退発表会見があった2018/4/15のP。

P.ASC/MC=P太陽(準直接)

6Hの太陽はバイタリティの象徴です。
このPからは悲観的なものは感じません、むしろ前を向くしかないといったエネルギーが現れています。
きっと、ギリギリまで行こうとしていたのでしょう。
怪我をしてしまったのは4/9のことのようですが、その日の時点ですでに上記の形成があります。
最終的に会見は怪我の影響で欠席とはなってしまいましたし療養は必要ですが、このPにより命の危険が迫るほどの大怪我にならずに済んだのではないかと思えますね。
やすくんの生命力が生まれながらに強い証拠です。


そして、動画メッセージが届いた2018/7/2のP。

P.太陽/金星=P土星/冥王星=N.DSC(直接)

DSCは出生時からN木星が調和しています。
やすくんのNにおいて、このDSCはファンを現しているのではないかというのは前回の記事で解説させて頂きました。
7HのP金星がASCルーラーであることを考えると、これはファンに対する親愛(金星)と誠実でありたい(木星)とする姿勢であり、それをファンも受け入れて応援してもらえるということではないかと私は思います。
もうひとつ、P土星/冥王星は自分ではどうすることもできない状況(冥王星)に対して心苦しく思う(土星)表示かと。

この2つが同時に形成されていることに、とても感慨深いものを感じます。
やすくんの中にあるファンへの愛情と誠実さが、ずっと真実を話せなかったことに対する申し訳なさを増幅させているようにも見えます。
Nの太陽乙女座、月牡羊座は「嘘をつけない」タイプですし、N木星のDSCへの調和はファンや周りの人間への誠実さの現れ。
正直でありたいと思う故に「言えない」ことに対する葛藤で摩擦が大きくなっていたことでしょう。
本当のことを話せた喜びが、P太陽/金星に現れているようです。

今年のリターンはツアーが終わるまで続きます。
ツアーはこれからですし、課題は山積みかと思われますが、リターンやプログレスの7Hには周囲の人達から親身なサポートを受けられる表示があります。
愛情深い人間関係が築けているようです。
それは、やすくん自身が誠実さをもって周りの人達に接してきた証です。
太陽ー冥王星の調和は復帰への並々ならぬ意欲に思えますが、決して無理はしないでほしいと願います。


最後に、2018年リターン(2018/9/11~2019/9/10)も見てみましょう。

リターン図はコチラ↓

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おっとこれは凄い…パッと見ただけではっきり分かるくらい素晴らしい幸運の形成がありますよ!!

R太陽/木星=R月(直接)
R月/木星=R金星(直接)、R天王星(準直接)

R月はASCルーラー、R木星は6Hルーラー。
仕事を通して自己実現をする意欲と、その幸運を現しています。
R金星は10H天王星と衝。
不調和な角度ではありますが、これによりR月/木星=を形成しているので、このぶつかりは革新(天王星)には必要ということでしょう。
R金星は11Hルーラーですから、仲間と共に心新たな再出発を実現していく表示のようです。
R木星がそれを応援しています。

さらにR金星/木星=N.DSC(直接)もある!!
人間関係の幸福と、ファンへの変わらぬ親愛と誠実さの現れです。

7HルーラーのR土星は6HでR天王星に正確に調和。
さらにN木星と合です。

再出発に向けて信頼できる人と堅い人間関係を構築していけるということでしょうかね。
同じく6HのR冥王星はR太陽に誤差0.02°という精度で調和しています。
6Hは仕事の他に健康という意味もありますから、冥王星山羊座であることを考えるとリハビリの意味はあるかもしれません。
しかし、調和ですから後ろ向きな意味はないです。

全体的に見ると、この2年間とは打って変わって息を吹き返したようなバイタリティと幸運に溢れたリターンです。
新生関ジャニ∞の快進撃の始まりとなるのでしょうか。
これは新しい年が楽しみですね!!(*'∀'人)♡*+


人生いろいろ、山あり谷あり。
重なるときは本当に理不尽なくらい重なることってありますし(経験談)、落ちたら次は必ず上がる時がきます。
やすくんは出生図を見ても、冥王星の影響を色濃く受ける人生のようです。
冥王星は、破壊と再生の星。
非情にも思えるほどのパンチをぶち込んできたりしますが、星は乗り越えられる試練しか与えてきません。
価値観や人生観が180度変わるほどの激しいビンタ、それが冥王星
しかし、冥王星の破壊は人生の中で時に必要なこともあります。
今までの自分を木っ端微塵に吹き飛ばされることによって生じる目覚めもありますし、つまらない拘りや固定概念が壊されて吹っ切れるきっかけになることもある。
2017と2018のリターンで11H(仲間)と7H(人間関係)の幸福が強調されているのも、辛い経験があってこそますます結束が深まったということではないかと私は思います。
骨折も、もしかしたら、もしかしたら「一回ちゃんと休みなさい」っていう冥王星からのメッセージかもしれないよ?(無理やりいいふうに考えたらの話ね!何もないことが一番いいんだってことは分かってるから誤解なきよう!!)
まぁ、その渦の中にいるときはなんで自分がこんな目に…って思ってしまうのだけど。
でもきっと、後で思い返したときにこの経験は無駄ではなかったって思えるようになるはず。

大丈夫、やすくんも含め彼らはただでは転ばない雑草魂漲るナニワのアイドルだから。
今は辛抱強く耐えるときであると、星は言っているようです。

ともかく今は、一日も早い回復を祈っております<(_ _*)>


すばるくんと∞のホロスコープについては、また後日上げたいと思います。

平手友梨奈ちゃんに渋谷すばるの「生きろ」を聴いてもらいたい2018

あけましておめでとうございます、ゆづです。
もうすぐeighter歴3年目を迎えようとしております。
去年は春~初夏にかけて舞台、夏のドーム、冬のオタ会(eighter仲間たちで大阪に集まってビックエコーライブを開催、激しいロスに襲われるほど楽しかった)などなど充実したオタクライフを送っておりました。
今年もひじょーに不定期に、好き勝手書いていきますのでどうぞ宜しくお願い致します。

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私事ですが去年の11月、先日放送されたSONGS OF TOKYOの公開収録に当選した職場の上司(Perfumeファン)が同行者として誘って下さり、ありがたいことに観に行くことができました。
そこで私は人生で初めてAKB48を観たのですが、とにかく人数が多過ぎてパニック。
出演メンバーで名前と顔が一致したのは横山由依ちゃん、珠理奈、ゆきりん峯岸みなみちゃんのみ(チーム違うけどさや姉、さっしーは分かる…フロントメンバーばっかりだな)
外国のチームに所属しているメンバー、若手メンバーでポジション編成し、披露されたAKBのステージ。
そのステージを観て、上司が一言。
「こういう大所帯の女性アイドルグループはメンバーの’’替えがきく’’っていうのは武器だよね。それによって先輩が卒業した後もずっと曲を歌い継いでいけるんだから」
その言葉を聞いて、なるほどと思った。
「替えがきく」なんて嫌味かと思われてしまうかもしれないですが、そうではありません。


女性アイドルと男性アイドルの活動において、一番の違いは「メンバーはいつか卒業する」と半ば決まっていることだと思う。
ジャニーズに代表される男性アイドルグループは、基本的にメンバーが抜けることはあっても代わりに誰か入ることはない。
しかし、女性アイドルグループは主に大所帯でポジションの入れ替わりが激しく、尚且つ何期生といった感じで若手がバンバン入ってくる(ここで言うグループとは秋元プロデュースやハロプロなどの大規模グループのことを言っています)
卒業には色々理由はあれど、その多くはきっと「年齢」なのではないかと私は思っている。
女性アイドルは男性と違い、若さは非常に重要だ。そのうえ研究生などの増加で下が詰まり、いつまでも自分がこのポジションにいるわけにはいかない、若手に道を譲らなければいけない早さというのは女性アイドルの方がシビアなのではないかと思っている。
後輩に道を譲らなければいけないのは男性アイドルも同じだが、彼らはグループ内で人が入れ替わるわけではなく新しいグループができたりするパターンである。
とても厳しくて辛いシステムな気がするが、でもこの「誰かが抜けても新しい人がそのポジションを守っていく」という構図は、そのグループの名曲をずっと歌い継いでいくことができる強みでもあると思うのだ。
そしてそこには、選ばれる人と選ばれない人が存在する。


先日、2012年に発売されたエイトさんの写真集「for No.∞」を中古で購入した。
そのインタビューの中で、すばるくんの記事に非常に興味を引かれた。
中学生でジャニーズ事務所に入り、一夜にして有名になって仕事に忙殺されてからの活動縮小。
そうなるのも当然だと思う。大の大人でさえ急に売れて仕事が激増したら過労で辞めてしまう人もいる芸能界で、まだ10代でその忙しさは精神的にもついていけない。
普通の中学生や高校生だったら学校行って部活して友達と遊んでという過ごし方をしている中、彼らのようなジャニーズJrや若手の女性アイドル、子役などはまだ知らなくていい欲にまみれた大人の世界で生きている。
ついこの前までどこにでもいる普通の子供だったのに、目まぐるしく自分を取り巻く環境が変わって自分の立ち位置も変わる。
その急激な変化についていけなくなったことについて「ただ尖ってるって言葉だけで片付ける大人の方がよっぽど汚い」と言ったすばるくんは、大人が信用できなくなったのだろう。

その頃のすばるくんを私は知らないが、掻い摘んで知るエピソードや今回のインタビュー記事での発言などに、ある女性アイドルの姿が被った。

欅坂46平手友梨奈ちゃんだ。

私はAKBや乃木坂は興味がないが、欅坂は好きだ。
あの2~3年後には全員辞めていそうな不安定な雰囲気にとても惹かれる(注:嫌味ではありません)
名曲「サイレントマジョリティー」でセンターを務めた彼女の存在感は群を抜いている。MVを初めて観たとき、そのとてつもない吸引力に一気に釘付けになってしまった。
この子は凄い!!とネットでいそいそと調べ、YouTubeの公式チャンネルを見漁ったのは懐かしい思い出である。
ただ恥ずかしながら、これ以上沼を増やすわけにはいかず、ライブなどにはまだ行ったことはない(行ったら絶対ハマっちゃうの分かっているから)
その平手友梨奈ちゃんが、デビュー以来ずっとセンターを張っているのは凄い話だと思っている。
しかしながら、彼女のメンタルは非常に心配だ。
昨年の紅白、ウッチャンとのコラボで「不協和音」を披露したときの顔色の悪さと痙攣(他のメンバーも倒れてた子がいたね、この曲のダンスは本当に激しいし体力を使うんだろうな)、そしてニワカ目で見ても昔と比べて明らかに笑顔が減った。

彼女は「大人が信用できない」と言っていると聞いたことがある。
14歳で欅坂のセンターでデビューし、爆発的に売れ過ぎたせいで仕事量も凄まじいだろう。
さらにTwitterやコメント欄が解放されているYouTubeの公式チャンネル、握手会などファンの声がダイレクトに自分に届いてしまう。
良心的なファンばかりではないし、時には嫌がらせをされたりプレッシャーをかけられたりすることもあるだろう。
そこに追い討ちをかけるかのようにメッセージ性の強い欅坂の曲をセンターでパフォーマンスしなければならないとなったら、まだ若い彼女には荷が重すぎる。

渋谷すばる平手友梨奈、このふたりは本人の努力は勿論だけども「人を惹きつける何か」を先天的に持っているのだと思う。
表現の世界ではそういう素質を持った人が「センターになるべき逸材」として選ばれる。
その重圧は凄まじいものがあるだろう。

平手ちゃんもきっと、すばるくんと同じように自分を取り巻く環境の変化に戸惑って、でも必死でついていかなければと死に物狂いなのだ。

そんな彼女に、私は渋谷すばるの「生きろ」を聴いてもらいたいなんてふと思う。
似たような境遇を経て復活したすばるくんの言葉を届けたいな。

故・蜷川幸雄氏が「アイドルは欲望の象徴だ」と言っていた。
確かにアイドルのそれはバンドや他のアーティストなどと違い、オタクの願望を三次元に具現化したような「生きた人形」というイメージが強い。

私が思うに、すばるくんと平手ちゃんはアイドルというよりアーティスト寄りだと思う。
表現者」としての素質やスキルを持った人。

味園ユニバース」で、最後ステージの上で歌った後のすばるくんの笑顔が忘れられない。
あれは、ようやく自分の歌が歌えるようになった笑顔だと感じた。

*******

私は、野心のある女性が好きだ。
欅坂でいえば、今泉佑唯ちゃんはとても応援したくなる。

「センターになりたいという思いはあるけど、自分がセンターになっても誰も喜ばない」と言っていたという彼女の言葉。

いつだかに村上さんが言っていた、「昔はセンターで歌いたいって思っていたこともある。けどそういうのってなりたいって思ってる奴じゃなくて、別にセンターなんてやりたくないって思ってる奴が選ばれるんだ」という言葉を思い出す。

本当に、そういうものだと思う。
そこで腐って辞めていってしまう人もたくさんいるだろう。
欅坂は、平手ちゃんの絶対的センターの構図を崩さない。
ニワカな知識で申し訳ないが、平手ちゃんがお休みしていた間に行われていたライブでは、センターを空けたまま公演をしたとか。
秋元先生の方針なんだろうが、さすがにこれは平手ちゃんのみならず、向上心の強いメンバーに対してもキツいのではないだろうか。
野心的な人はだいたいにおいて自分に厳しく、合格点をとても高いところに置いている。
選抜に選ばれるだけで凄いよ!なんて言ったところで全く響かないだろう。

今泉佑唯ちゃんは今お休み中のようである。
動画で彼女のパフォーマンスを見たが、表現力が高く歌も上手い。
平手ちゃんは天才タイプ、今泉ちゃんは秀才タイプだろうか。

他のみんなきっと、それぞれ口には出さないだけで向上心はあるし、とてつもない努力をしているのだ。
だがこの世界ではどうしても「天性のもの」がついてまわってしまう。

すばるくんは「歌」という道を見つけた。
村上さんも試行錯誤の中で自分のポジションを確立した。

欅坂のみんなにも、今は辛いかもしれないけど「あなたを生きて」ほしい。


新年早々、長々と失礼致しました。
今年も皆様にとっていい一年になりますように✧ °∀° )/ ✧

10代の頃に好きになった音楽は一生ものって話

どうもどうも、ゆづきです。
先日、ちょっと前に関ジャムでやっていたギター特集の録画を観まして…それにGLAYのひさ坊(HISASHI君)が出ていて懐かしいわ〜と思いました。
私は昔GLAYのファンで、小6のときに初めて行ったライブで先端から火花を噴くギターを弾いていたひさ坊…あれを観たときの衝撃が忘れられない(笑)
彼は幼少期からずっとメカやアニメなどが大好きだったそうで、FC会報もラジオもネタがマニアック過ぎて当時の私は全くついていけてなかったな(笑)
まさかギターに光線銃まで埋め込んでいたとは…。

懐かしいな〜と物思いに耽りながら、お世話になっているブロ友さんと色々お話させて頂いていたんですがね。
そのとき、こんな話が出たのでブログに書きたくなったんですよ。


10代の頃に聴いた音楽は、人生の柱になる説。


生まれてから10代を終えるまでに得た影響って、きっと一生ものなんだろうなと思うんです。
最近ちょっとお疲れ気味だったので、GLAYも含め、ふと昔ファンだったアーティスト達のCDを引っ張り出して久々に聴いでみました。
以前はよく聴いてましたけど、エイトさんにハマってからはちょっとご無沙汰だったので…これがまた不思議と落ち着くんですよ(笑)
それで思ったのです、きっと私はこのアーティスト達の曲を一生聴き続けるんだろうなと。


以下、20歳を迎えるまでに私がFCに入る(入りたいと思っていた)くらい好きになったアーティスト遍歴です。
※()内は主に新譜を購入したりライブに行ったり、リアルタイムで追い掛けていた時期。

GLAY(11歳~16歳頃)
倉木麻衣(13歳~16歳頃)
DIR EN GREY(14歳~20歳頃)
the Gazette(18歳~20歳頃)


紅白で「HOWEVER」を歌うGLAYをテレビで観て、人生で初めてハートを射抜かれた11歳の冬。
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ちなみに推しTAKURO氏。
お年玉とお小遣いを集めてFCに入り、ライブも何度か参戦。
小中学生にチケット代7,000円(確か)は大金だったぜ。

その後、テレビの歌番組でたまたま「Love,day after tomorrow」のMVを観て、倉木麻衣やんに惚れたことからまいやん推しが始まる。
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歌声もそうだけど、あの圧倒的な美ジュアルとミステリアスなところに惹かれたんだと思う(当時はメディアコントロールされててほとんど露出がなかった)
FCに入りたかったけどお小遣い生活の中学生な上にGLAYと掛け持ちなので厳しく、円盤を買うくらいしか貢献することができなかった。

それと時を同じくして、2000年代初期V系時代がスタート。
ここで出会うのがデビューしたてのDIR EN GREY
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小学校からのクラスメイトだった女子が何故か突然狂信的なDIRファンになり、まるで人が変わった。
家に遊びに行けば壁一面DIRのポスターで真っ黒、ヘドバンシャウト曲が連日連夜流れ続ける。
曲を(半強制的に)ずっと聞かされ続けていたので、CDを持っていないのにカラオケで歌えるという不思議現象。
その影響でDIRに興味も持つも、クラスメイトも含め当時は先輩ファンが怖すぎてとてもじゃないがファンになったなど言えず、こっそり円盤を買っていた。隠れキリシタンかよ。
ようやくライブに行けたのは高校生になった頃。

高2くらいに本格的にDIRにハマり始め、その頃はもうGLAYとまいやんはほとんど聴かなくなってしまっていた。
この頃から私のバンギャライフが始まる。
様々なV系バンドを聴き漁っていき、特にハマったのがthe gazette(ガゼット)。
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高校~専門学校卒業、20歳で社会人になるまでバイト代は全てDIRとガゼの円盤やらグッズやらライブ代に注ぎ込み、ロリータ姿で原宿に行くという典型的なVヲタ生活を送る。

社会人になってからは仕事を覚えるので精一杯、休みも全然なくてライブも行けなくなり、小学生の頃からスタートした私のオタク生活は幕を閉じた。

以上が私の10代音楽遍歴です。
バンギャ生活が自分の人生の半分を占めてるとか思ってたけど、期間にしてみると3~4年くらいだったと気付いてびっくりしている。恐らく内容が濃すぎてとんでもなく長く感じたのだろう。

で、20代の頃は特定のアーティストにハマることなく過ごし、29歳でエイトさんと出会うことになりました。
しかしその間も上記のアーティスト4組に関してはCDやDVD、FC会報、集めたグッズなど全て捨てずに取っておいてあり、普段から結構よく聴いてて、ふと新曲を聴いたらやっぱりいいな〜と思って買ったりしてました。
でもそれって嫌いになってとか、興味がなくなって追いかけなくなったわけじゃないからなんですよね。
歳と共に自然と聴かなくなったり、他のアーティストにハマって結果的に離れることになっただけで。
※DIRに関しては2007年以降、一年のほぼ大半を海外に行ってしまっていた&ライブに来る客層が一気に変わって楽しめなくなってしまったことも要因。だがしかしDIR自体は好きなままだった。

思うんですけど、これって多分ジャニオタ的に言えば長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い茶の間なんですよね、きっと。

それでなんとなく考えたのですが、ジャニオタの担降りについて。

担降りの定義は様々かと思います。
ですが、よく見るのは議員辞職の記者会見原稿のようなとんでもなく長い決意表明記事をブログに書き、禊の如く今まで集めたグッズや円盤達を洗いざらい売り払い、ファンだった思い出すらも消す勢いかと思うほど身辺整理してすっからかんになさっている(らしい)もの。

あとネットの検索ワードで「ジャニオタ 辞める方法」とかありますよね、これ初めて見た時びっくりした。
ヤク中アル中とまではいかないまでも…禁煙を決意した喫煙者みたいだなと。

もう好きじゃなくなったから辞めたいと思うのか、それともまだ好きだけど何かしらの事情で辞める方法を探しているのか…理由はそれぞれだと思いますが…。

担降りの定義が十人十色なら、上記のような担降り宣言からの一切合切手放しする方もいれば、しない方もいるかと思います。
だがもし、担降りの定義に「今まで集めた諸々を売り、今後テレビも雑誌も見ずライブも行かず音源も一切買わない」という要素があるのだとしたら、恐らく私はよっぽどの事がない限り一生エイトから担降りすることはない、そんな気がするのです。

エイトさんは音楽から好きになったわけではなく、アイドルという自分的未知の領域の方々であるわけで、当然彼らの楽曲は自分的に「ハマる」「ハマらない」がハッキリあります。
でもこれはしょうがないのです、夜ふかしからのイフオア落ちで興味を持ったバラエティ畑からきたファンなので、曲がどうかというのはまた別のお話なのです。

でも追い掛けているうちに彼らの楽曲(特にバンド曲)が好きになりましたし、ライブも楽しい、テレビもラジオも楽しい、こんな幸せをありがとう!!状態になるまで惚れてしまったので、一時的に離れることはあっても担降り宣言することはないんじゃないかなと思うんです。
よっっっっぽど何かあって嫌いになっちゃうって事がない限り(笑)

あれ、10代の頃に聴いた音楽が人生の柱になる話どっかいっちゃったな。
でもきっと、これは多くの方に当てはまる説なんじゃないかな〜だと思いましたよん。
10代でジャニーズにハマった方は、恐らくずっとジャニーズ好きなんじゃないかなぁ。
くっついたり離れたりを繰り返して、一生聴いていく気がする。
多分、その頃に聴いたアーティストの楽曲が自分の「好きな音楽」のベースになるのでしょうねぇ…と思っております。
あとやっぱり、思春期の頃に得た影響って特別じゃないですか?


*******

凄く話変わりますが、私の中でまるちゃん愛が増しています。

わりと前からだったんですけど、具体的には去年のエイタメのときからですかねぇ。
エイタメ札幌公演でまるちゃんが乗ったトロッコが私の正面で止まったのでまじまじとガン見していたわけですが、そのときに改めて丸担さん方がまるちゃんに惹かれる理由が分かった気がしたのです(勿論理由はこれだけじゃないとは思うよ!)
ひとりひとりしっかり指差して送るファンサ、めちゃくちゃ高速だけど決して雑ではなく、ひとつひとつを完璧にこなしている。
ライブDVDでも見てはいたけれど、部分的にしか抜かれてなかったから分かっているようで分かっていなかった。
あれだけの数を短時間でこなすなんてもはや職人技。

それから、クロニクルにゲストで来た上戸彩ちゃんがまるちゃんと話してると幸せな気持ちになるって言ってたのも、なんかじーんときたな。

あと誰か名前忘れちゃったけど(おい)ジャニ勉にゲストできてた芸人さん?が、カレー屋でたまたままるちゃんに会って「覚えてないだろな〜」と思いながら会釈したら寄ってきて挨拶してくれたとか。
一度しか会ってないのに顔覚えてるって普通に考えて凄くないか、私はすでに忘れているぞ。
彼らは我々一般ピーポーと違って恐らく普段仕事でたくさんの人に会ってるし、一期一会なんて当たり前みたいな世界の人なのに。

あと最近一番効いたのはあれかな…レンジャー。
有料コンテンツなので原文載せられないのが辛いところ。
先週のちょっと長文のやつです。
なんか内容だけ見ると突然どうした?感がわりとあるけど、私は効いた…彼の言葉が効いた…。
イムリー過ぎてボディブロー喰らった気分だったけど、まるちゃんて結構そうなんですね、一番欲しい言葉をくれるというか。
まぁたまたまっちゃ、たまたまなんですけどね。

まるちゃんてやっぱり、アイドルとしてのプロ意識がすこぶる高いと思うんです。
「誰かのため」に生きてる、そんな人だと思うんです。
それを人は優しいという言葉で表現するけど、まるちゃんは優しいすら超越している気がする。
人の喜ぶ顔が見たいっていうのは人間に本来備わっている欲求ではあるが、まるちゃんの場合、それは完全なる自己犠牲の上に成り立っていると思わされる。

なんだか私は、ふとまるちゃんに対して寂しいと思う気持ちが湧くときがある。

先日発売の音楽と人のインタビューを読んでも感じた(私はね)
なんだろう、陰日向というか、常に自分の立ち位置を誰かの下に置いている感じ。
それはね、まるちゃんが大好きなメンバーの為に頑張ろうとしているのは重々分かっているし、彼にとってはそれが幸せなんだろうと思う。

でもね、こうも思う、貴方が主役になってもいいんだよと。

自己評価が低そうというか、卑屈とは違う、謙虚…が一番近いのかな。
表立って自分を全面に出さないというかね、でもそれが彼の魅力のひとつでもあるのかもしれないけど。

なんていうのかな、エゴサもそうだけど「本来の自分」を圧倒的に遠くに置いて、「外から見られる自分」に常にフォーカスしている生き方。
まるちゃんの人生はまるちゃんのもの、貴方は自分がこうありたいと思う自分でいられていますかと。
「みんなに求められる丸山隆平を生き続けることが彼の幸せなら、私は何も言わん。
でもそれって、たまーに凄く苦しくなりません?って聞いてみたくなるんですよね。

勿論、それがアイドルというものであって虚像を演じる職業の本質なわけですが。

丸山隆平さんっていうのはアイドルの前にひとりの人間。
「自分は何者か」って思春期辺りから考え出すテーマであるけれど、まるちゃんはどこか強迫観念にも似た様相で「アイドルとしての自分」をキープし続けているように見えるときがあるのです(あくまで私は)

アイドルのペルソナを取った、何者でもない自分を彼はきちんと愛せているのか。

巨大なお世話であることは承知の上で、そう思ってしまうことがあるのてす。

CanCamのインタビューでも、「ありのままの自分を好きになってもらおうなんて…」みたいな発言があったけど、たったひとりくらいになら、その人の前だけでは自分を許してあげてもいいんじゃない?

アイドルとしての生き方を選んだのは彼自身で、その為に一般人には考えられないほどのたくさんのことを犠牲にしてきたと思うし、これからもしていくと思う。

まるちゃん結婚願望ないかもしれないけど、私は我儘で重いオタクだから勝手にふと願ってしまうことがある。
いつか、どんなに先でもいいから彼が生身の自分をさらけ出せる人と幸せになってほしいなと。
アイドルとしてのまるちゃんではなく、丸山隆平さんを見てくれる人と、心安らかに過ごせる時間を与えてあげてもらいたい。

私はきっとこれからも彼からたくさんの幸せをもらうだろう、彼自身の幸せと引き換えに。
いちファンにできることなんてせいぜいお金落として売上に貢献することくらいだと思うけど、彼らがアイドルとして貪欲に突き進む限り、私は応援をしていきたいと思う。

よかーまさんの次に絶対幸せになってもらいたい人なんだよ、まるちゃん。




…なんか最後とりとめのない話で終わってすみません(涙)

俺節感想(まとめられないけど)無理やりまとめてみた

※がっつりネタバレ注意!!※

どうもです、ゆづきです。
メンバーの舞台仕事を全て見届けることができたので、感想を残したいと思います。

↓大倉さんの蜘蛛キス感想はコチラ↓
蜘蛛女のキス感想&考察(まとめられないけど)無理やりまとめてみた - ここに確かに存在している感情の証明

あとはジレッタが残っておりますが、凄く感想が難しくて難航しております。
今回は俺節について書かせて頂ければと…。
もう行ける気しないと諦めてましたが、なんとギリギリでお譲り頂けることとなり…感謝感謝です…(´;ω;`)
13時半開演で、終了したのは17時頃…大作でしたね。
お尻痛くなるやもと危惧してましたが、そんなことも忘れるほど入り込み、涙を垂直に垂れ流した素晴らしい公演でした。
私涙脆いので、友人には「お前さんの泣けるは信用度低いw」なんて言われてしまう有様ですけども…いや、これは泣けるよ(笑)
まとめられる気がしないけど、感想まとめてみます。
とにかく!良いセリフがわんさかでした!!
私は舞台は特にセリフが重要だと思ってます。
ガツンとくる一言があるとわーーーーーっ!!てなります(´;ω;`)
それなのにセリフはっきり覚えてないの痛い…メモ帳持っていくべき??でもいざ本番になったらメモること忘れそう←

※記憶が曖昧な為、セリフは微妙に間違っている可能性が大なのでニュアンスで捉えて頂けるとありがたいです。
なるべく時系列に沿って簡単にあらすじを追っていますが、場面が前後している箇所もあります(ぐだぐだ)



6/16 俺節 in赤坂アクトシアター

原作未読の為、前知識なしで観劇(いつもそう)
津軽弁はだいぶ軽くしていた印象。
ヤス演じるコージがおばあちゃんにスーツをもらって、青森から上京してくるところから始まる。
最初ポスター見たとき、なんかスーツ大きめじゃない?と思っていたのだけど、それがなんだか初々しさというか…都会に慣れていない感が漂っていてよかった。
コージは素直で、真っ直ぐで、人の為に一生懸命になれる人。
流れ着いた横丁でヤクザに追われてるテレサ(シャーロットさん)を見て、青春マンガばりの無謀な突っ込みを挑んで倒れるあたり、熱すぎな前のめり青年。
ここで初めてコージが歌をうたう。
じつはあがり症で人前になると恥ずかしくて歌えないコージが歌えるのは、言葉にできない想いが溢れてきたときだそうな。
ヤスの歌…技術的な上手さは勿論だけど、それ以上の胸に迫る何かがあった。
それってなに?と聞かれてもうまく答えられない、恐らくその何か分からないけど、というのがただ上手いだけの人とエンターテイナーとの違いなんだと思う。
歌に気持ちを乗せる、感情を込めるってこういうことなんだろうなと思う。

テレサは違法入国の売春婦である。
ヤクザの経営する店で他の外国人女性達と共に働いている。
そういうところでないと、違法入国がバレて強制送還されてしまうからだ。
コージの歌が頭から離れず、思わず口ずさんでしまうテレサと、たまたま連れて来られた店で再会するコージ。
彼女を連れて控え室まで逃げてきたコージは、「ふるさと」を歌う。
その曲を聞いて、一緒に働いていた外国人女性が激昂するシーンがある。
「ふるさとなんて、私達はもうそんなのとっくに忘れて生きてんだよ!!」と怒鳴るのだ。
この店で働いている女性はみんな、自分の国にいる家族にお金を送る為に身を売って生きている人たちだ。
全編通して思う、この物語に出てくる人達は誰ひとり適当に生きていない。
命を削り、痛みを感じて生きている。

テレサの仲間から「中途半端に優しくするな」と忠告を受けるコージだが、もう彼の中でテレサへの愛情は止められないものになっていたのだと思う。

「君の為に頑張る」と言うコージと一緒に店を出る決心をして、2人は逃げる。
(この時テレサのお店の女性達も協力してくれるの…泣けるわ)


歌の方はというと、コージは横丁のギタリスト・オキナワ(福士さん)と共にコンビを組んで、流しをしている大野(六角さん)を師匠と呼び、スナックで流しの経験を積んでいく。
そこでをコージの歌を聴いた大物演歌歌手・北野波平(西岡さん)のセリフが深い。
「君は今、誰の為に歌っていた?」
コージは「お客さんの為に」と答える。
これに対し、「じゃあそのとき君はどこにいた?」と聞く。
質問の意味が分からないコージに、北野は続けて「私はこの歌の中に君の姿が見えなかったよ、客は歌に自分を見るんじゃない、歌っている君の中に自分を見るんだ」と言う。
これは原作にもあるセリフなのかな?それとも脚本オリジナル??だとしたら凄いとしか言えない。

曲の中の主人公に自分を投影するのではなく、歌い手に自分を投影している。
歌手という仕事の真意を突いた言葉だと思う。
ただのカラオケ好きと職業歌手の違いは何か、私は分かっているようで分かってなかった。
本物の歌い手は、誰よりも曲の中に入り込む。
絶望の歌をうたうなら誰よりも絶望して、愛の歌をうたうなら誰よりも愛に溺れる。
その姿を見て聴き手は自己投影し、感情移入するのだ。

コージはまだその意味を掴めていないまま、デビューを目指してオーディションに挑む。
結果は不合格だったが、審査員の戌亥にスカウトされる。
だが、戌亥が声を掛けたのはコージのみ。オキナワはギタリストだから、演歌で2人組はおかしいという理由だった。
優しいコージは悩みに悩むが、オキナワの方から別れを告げる。

このあと自棄になってどんどん堕ちてくオキナワに感情移入が止まらない。
行き場のない憤りをぶつけるかのように借金取り?の仕事にのめり込み、負債者を追っかけ回してボコボコにする。

「こうして思い出すんだ、俺は犬っころだったってな」とこぼして、果てには北野を脅して逆に捕えられ、地下牢に放り込まれる有様。
手に持てるものはホウキくらいの牢で、オキナワは無意識なのか歌を口ずさんでいる。
彼には作曲の才能があった。
北野に対して小学生みたいな反発心で抵抗するものの、君はギターが好きなんだ、才能ある作曲家なら出してやる価値があると諭される。
夢を失った絶望と、うまく生きられない自分を恨み、葛藤して、彼はコージの為の曲を作る。
どんなに希望を絶たれても、見ないふりをしても絶対に捨てられないものがあるのだ。

一方、コージはデビューを目指してレッスンに通っていた。
ダサいと言われるスーツも脱がず、津軽弁も直す気がない。
スーツはおばあちゃんの想い、そして他にも応援してくれているテレサや夢を絶たれたオキナワの想いも背負ってコージは生きている。
そんなとき、デビューのチャンスがきた。
戌亥と恋愛関係(なのか?)の元アイドル歌手とデュエットで、曲は引越し業者のCM曲。
だが相方のアイドルはめちゃくちゃやる気がなさそう。
戌亥にデュエットだと紅白は目指せない、CM曲だとヒットは難しいなどなど不満をぶつける。
そんな彼女に「若いやつは隙間がある、そこがいいんだよ。その隙間に客(の感情?)が入り込んでいけるんだ。歳とるとだんだん隙間が無くなっていくだろ?無駄なプライドとかが邪魔してさ」と戌亥は言う。
この、つまらない大人になっちゃった人を形容しているセリフ凄くいい。
”隙間がなくなった大人”とは、このアイドルのような人のことを言うのだろう。
若くして人気を博し、年齢と共に低迷して自身に限界を感じていた彼女は、それを誰よりも分かっている。
その後、相変わらずにこにこ笑顔で一緒に頑張ろうと言うコージにアイドルは「あんた分かってる?この曲が売れたらコンビは解消、あんたは私の踏み台なのよ!」と啖呵を切る。
それに対し、コージはそれでもいいと笑顔を向けるのだ。

Wantの人とMustの人、という区分けを聞いたことがある。
Wantの人は「自分はこうしたい」「これがやりたい」という気持ちでいっぱいで、努力を努力とも思っていない。
Mustの人は「こうあるべきだ」「これをしなくてはいけない」という考えで動いていて、そこにある自分の気持ちは薄い。

コージはWantの人、アイドルはMustの人、なのではないだろうか。
雑誌のインタビューで、ヤスはコージのことを「なんでも欲しがる人」と言っていた。
歌も、テレサとの恋愛も、全て彼は全力でぶつかって生きている。
Wantでしか動いていない、コージはWantの塊なのである。

そんなコージを見たアイドルは、「なるほど、隙間だらけだ」と呟く。
若く、未来への希望に溢れた彼には、目の前のことしか見えていない。
それに感化されたのか、アイドルは自分が子供の頃に家の炬燵でテレビを観ながら画面の向こう側の世界を夢見たことを話す。
なんかやる気出てきちゃった、と言った彼女はMustの人ではあるけれど、この時ばかりは自分の気持ちが前に出たのだと思う。


だが、全て順調にいくわけでもない。
テレサとの突然の別れが訪れた。
「君の為に」と言うコージに、テレサ「あなたの負担になりたくない、自分の為に生きて」と伝え、自ら警察に出頭して強制送還される道を選ぶ。
コージは別れが辛すぎて泣き叫ぶけれども、そのあとは徐々にスーツを変えて、標準語に近い話し方になっていく。
背負っていたものが軽くなったとボヤいた彼は、自分の為に歩き出したのだ。
コージはWantの人ではあると思うけども、何よりの原動力は”誰かの為”なのかとも思う。
歌う理由もお客さんの為、デビューに向けて頑張るのはテレサや見送ってくれたおばあちゃんの為でもある。
コージの「自分の為に生きる」手段と「誰かの為に生きる」手段、それが歌なのだろう。


しかしここで、デビューの話も思いもよらないところで破綻してしまうこととなった。
スポンサー?の男との飲みの席で、コージはアイドルが脱ぐ仕事をすることを聞かされる。
それをよしとしているスポンサーにブチ切れ、コージは咄嗟に相手をぶん殴ってしまう。
何をするんだと焦る戌亥とアイドルに、コージはそれでいいんですかと聞く。
「それがあなたが炬燵の上で描いた夢なら、僕は何も言いません。でも、違うならそんなのおかしい!」と言うコージに、アイドルは「いいって言ってんでしょ!」と意地になる。
結局、スポンサーを怒らせたコージのデビューは取り消しになり、平謝りに行くのも虚しく話は立ち消えになってしまった。
「あんた、踏み台にもなれないんだね」と捨てセリフを吐かれながら。

デビューのチャンスを潰し、テレサもいない、絶望に打ちひしがれたコージは横丁に戻る。
もう何一つ頑張る理由がないコージの元へ、オキナワがやってくる。
彼の為に書いた曲を持って行くが、コージはそれを頑なに受け取ろうとしない。
自分にはもう何もないと言うコージに、「そっか、ちょうど良かった。なんもなくなったお前とだったらまた始められる気がしたんだ」と答えるオキナワがカッコよすぎる。

意地になるコージだったが、アイドルグループの前座ではあるけども戌亥が野外ステージで歌える機会を与えてくれた。
仕事ならやらなければと向かうも、現場はアイドルグループのファンでいっぱいで、ステージに立ったコージは罵声を浴びせられる。
おずおずと弱々しい声で歌い、ステージから去ろうとする彼にオキナワはもう一度自作の曲を渡す。
そしてそのとき、国に帰る直前のテレサも客席に現れる。
「さっきの歌、コージらしくなかった。もう一度歌って!」と叫ぶテレサの言葉に押され、コージはようやくオキナワから曲を受け取る。

この曲の歌詞は演出の福原さんが書かれたもののようです。
もともと俺節の大ファンで、ずっと前から舞台化を熱望していた末の今回だったそうで…。

ひとりで生きていけるのと
つよがり放した手だけれど
夜と朝の境目に見る夢で
お前の名前を呼んでいた

おーい おーい ねぇ
届いているかい
もっと傍まで来てくれよ
心の中まで入っておいで

俺が俺と言うときは
俺とお前で俺だから
俺の俺節 お前節

ラスト、大雨の中でコージは歌う。
途中からマイクの音がブチブチ途切れて、髪も服もびしょ濡れになっても最後まで歌いきる。
このシーンは涙が止まらない、特にこの曲はオキナワが作ったという設定になっているのが余計に泣かせる。
あとテレサ「私とあなた(コージ)で私だから」というセリフも。
結局強がっていても、ひとりでは生きていけないのだ。
誰かの想いを背負って、共有してこそ生きていける。
最後の最後、持てるだけの力を擦り切れるまで出し切ってヤスはこの曲を歌い上げていた。
底辺から這い上がろうとする青年の心の叫び、それを一身に受けて見事なまでに表現していたと思う。

コージの人生をかけた戦いは、まだまだ始まったばかり。
恵まれたデビューなんてほんのひと握りで、例えデビューできたとしても登りつめていくのは更に過酷を極める。
上がっている実感がある内はいいけど、その後は少しでも下がると不安に襲われる。
やがてトップまで登りつめることができたとしても、ずっとその地位を維持するのは並大抵のことではない。

ヤスは、コージに自分を重ねていたりしたのだろうか。
アイドルとして苦労時代を経て日の目を見て、誰かの背中を追いかける時期はきっともう終わっている。
次は後ろから突き刺されないようにスピードを緩めることなく、むしろどんどん速度を上げて走り続けていかなければならない。
でもヤスはコージと同じように、一緒に想いを背負ってくれる仲間がいるよね。
それはきっと、とても強いこと。
貪欲にあるべき未来を求める姿、がむしゃらになって地べた這いつくばって戦う姿があれほどまでに美しいとは思わなかった。
あの泥だらけの美は、ヤスにしか出せないものだと思ったよ。


それから、パンフに載っていた原作者の奥様の言葉がとても心に響きました。

(一部抜粋)
光り輝く夢や希望だけが人を動かしているのでしょうか?
あるいは、叶わなかった夢や破れた希望こそが、私達を走らせてくれているのか?
そう、私は思います…夫の作品がもしも誰かのこころを打つのだとしたら、それは、どんなに願っても願っても手の届くことのない夢を描いているからこそ、なのだと。

原作者の土田さんは21歳でこの作品を描いたそうです。
43歳で死去するまで、純粋に幸せになりたいという夢を犠牲にして漫画を描き、自分が生きられなかったもうひとつの人生をコージに託していたと。

土田さんは、コージみたいに青臭いほど純粋で、真っ直ぐに生きたかったなのかな。
私はこの物語の中で生きている人、みんなに感情移入することができた。
とても人間らしくて、生身の「生」を感じたからだ。
出番の少ない人物にもちゃんと人間味があり、演出の福原さんの力量を感じました。
原作もきっと素晴らしいんだろうな。


この舞台の時代より、今の日本はずっと物質的にも経済的にも恵まれているはずなのに、何故かどんどん生きづらい世の中になっていると思う。
先進国の中でトップクラスの自殺率のこの国では、年間2万人もの人が自ら命を絶っている。
今は昔と違って人との関係が薄くなったなんて言われているけど、むしろ逆でしょう。
SNSが普及した影響で24時間いつでも誰かの毎日を知ることができるようになり、誰かの意見を吸収することができるようになり、むしろ濃くなり過ぎている。
ソーシャルデトックスなんて言葉ができて、SNSがなかった頃と比べて格段に精神を病む人が増えた。
(勿論、自殺理由の全てがSNSが原因ではないけれど、精神疾患急増の一端を担っているとは思う)

私もかつて、たった一度だけ本気で死を考えたことがある。
人間て結局孤独なんだよな、と思う瞬間は今でも腐るほどあるけれど、死に囚われていた日を忘れてしまうほど今では普通に過ごしているが、この物語の人達のように必死になって生きてなんていない。

今この世は、死んだように生きている人間で溢れ返っている。
観る者に、自分はどう生きるのか問いかけてくる作品だと思いました。

ありがとうございました。

蜘蛛女のキス感想&考察(まとめられないけど)無理やりまとめてみた

※がっつりネタバレ注意!!!!※




どもども、ゆづきです。
5/28、29と連チャンで舞台を見て参りました。
蜘蛛女のキスとジレッタです。
いやぁ…疲れた、本当に疲れた…。
でもとても楽しい、素敵な時間でした。
感想まとめられる気がしないと思っていたけれども、やはり残しておきたい。
今回は蜘蛛キスについての感想をば。
初めに断っておきます、語彙力皆無です。
いつものことですね。
あと激しく記憶が曖昧なのでセリフなど微妙に間違ってると思います、ニュアンス的な感じで捉えて頂けると嬉しいです。
いつものことですね。
それからレポ的な感じではないです、ほんっっっとうに個人的な感想と考察です(真顔)
あ、いつものことですね。




5/28 蜘蛛女のキス in東京グローブ座

まずは一言…

大変素晴らしかったです。

過去にもいくつか演劇を見たことはありましたが、正直ここまで感情を揺さぶられた舞台は初めてでした。
中盤以降は泣きっぱなし、恥ずかしながら嗚咽まで漏れ(本当に恥ずかしい)終演後に余計泣けてくるという異常事態。
映画やドラマなどの映像作品も大好きですし、素晴らしいものはたくさんあります。
だがしかし、生にかなうものはなかった…。
失敗できないという緊張感と熱量がケタ違いで、迫力が全く違う。
注:映画は手を抜いてるという意味ではありません。


原作未読、映画版も観ていない状態で前知識無し。
一言で感想言えと言われたら(無理だけど)なんと答えるか考えたら…

「圧倒的美しさ」

これに尽きる。

しかし何が美しかったのかと聞かれても、うまく答えられない。
ただ、画が、セリフが、空気が全て美しかった。
それはキラキラした煌びやかなものではなく、閉鎖的で退廃的な美しさであったと思う。
恐らくそう感じさせたのは、思想だとか革命だとか男だとか女だとか難しいことはよく分からないけれど、逃げられない檻の中で2人しかいないという孤独感にあるのではないだろうか。
ひとりではないけれど孤独。
2人同じ部屋に一緒にいるけど、お互いひとりぼっち感。

彼らが話している政治や思想については頭の良くない私には理解が追いつかなくて、正直とても難しかった。
それに加え、トランスジェンダーなど複雑な要素がこれまた複雑に絡み合っているわけで。
私はこういう単純明快とはいかない、それこそ蜘蛛の糸を張り巡らせるような物語が大好き。
考察せずにはいられないので、自分なりにストーリーを噛み砕いていきたいと思います。
(製作者側の意図を知らない状態で考察するのが好きなので、パンフは買いましたがまだ全部は読んでいません)

※あくまで個人の考えです。



とりあえず、私がこの舞台を観て考えていたことはひとつ。

2人の間にある感情は、愛なのか?

演出の鈴木裕美さんが「究極のラブストーリー」と仰っていたのを見ると、愛…ということになるのかな。

ここで気になるのはその「究極」の部分。

この言葉が意味するものは何か。
観劇する身として探さずにはいられない。
きっと観る人によって意味は異なると思うので、私なりにということを前提でお話していきますね。



物語は相部屋の牢獄でモリーナ(いっけいさん)がヴァレンティン(大倉さん)に黒豹女の映画の話をしているところから始まる。
モリーナはとても感情豊かに映画の細かな描写まで語っていくけれども、ヴァレンティンはずっとベッドに仰向けで寝転がってて、適当に話を聞いている感じ。
でも時々モリーナのお気に入りのシーンをなじったり、あんたの考えは間違ってる!と言わんばかりの突っかかりを見せたり、なにかと気性が荒い。
そりゃそうです、ヴァレンティンさんは世界を変えようと活動していた革命家なのに、こんなブタ箱(古い)に閉じ込められて悶々としてるんですからね。
(でも何だかんだ言ってモリーナと一緒にひとつのテーブル使ってご飯食べてたりする)

一方のモリーナは病気の母親のことを常に気にかけている優しい人で、ヴァレンティンのことを気難しく思いながらも、お茶を入れてあげたりお腹下したときにケアしてあげたりと献身的、女性よりも女性らしい。
彼が苛立って酷いことをしたり言ったりしても、許してくれと言えば許さないといけないことなんて何もないわと答えるほどの聖母ぶり。
だがそこには、自分の刑期を短くする為、裏で交わした取引きの存在があった。
ヴァレンティンに心を許させて仲間の情報を聞き出すという目的で、モリーナは彼に尽くしていたのだ。
所長が用意したたくさんの差し入れを、モリーナは母親が持って来てくれたと嘘をついてヴァレンティンにも分ける。

基本的にこの舞台は2人の会話劇で展開されるのでシーンは2人がいる部屋で固定されているけど、所長がモリーナに面会に来るシーンだけは視点がモリーナに移る。
そこで観客は取引きの存在を知ることになる。
モリーナがヴァレンティンを騙そうとしていること、そしてそれを知らないヴァレンティン、これを観客に見せるシーン割りによって、2人に対する感情移入が深まるのだと思う。
ヴァレンティンはより孤独感が際立ち、モリーナは偽りの笑顔を彼に向けていると気付くと、胸が苦しくなる。

だが正直初め、私にはモリーナの本心が分からなかった。
痺れを切らせてヴァレンティンに拷問をさせようとする所長にもう少し時間をくれと言うけど、部屋に戻ってもヴァレンティンの仲間や活動については私が拷問されることになるから聞きたくないと必死で拒む。
母親の為に早く出所したくて取引きを承諾した(はず?)なのに、どっちかずの態度を取っているのは何故だろう。
ごめんなさい、これはきっと私の理解不足です。

優しい性格ゆえに悪人になりきれなかったから?
それともヴァレンティンのことを愛してしまったから?

ここまで本編の約半分ほど。
後半では少なくともモリーナはヴァレンティンを愛しているのかなと思った。

モリーナの感情の動きを感じたのは、背を向けて寝ているヴァレンティンの髪に触れようとして手を引っ込めるシーンかな…。
ここ凄い良かった。


夜毎、映画の話をしているうちにヴァレンティンは徐々にモリーナに身体を向けて話を聞くようになってくる。
そして彼が外に残してきた恋人への手紙の代筆を頼まれるくらい信頼を得ていって、モリーナ自身もヴァレンティンに対する想いが固まっていったような気がした。
でも徐々にモリーナの立場も厳しくなっていくわけです。
何度目かの所長からのせっつかれで、自分が釈放されると嘘をつけば話すかもしれないと提案(所長はモリーナがヴァレンティンに肩入れしていて外で仲間との接触を図ると考え、ガチでモリーナを釈放する予定)して部屋に戻ったモリーナの作り笑顔。
強がってる感じはヴァレンティンにも分かるほどだった。
身体が痛いとベッドに横になったモリーナをさすってあげて、隣に添い寝して、「その、まぶたの上のほくろに触りたい」と言うモリーナの言葉も受け入れ、2人は一線を越える。
事後の「なんだかここに私がいない気がした」「いえ…私が、あなた」というモリーナの呟き。
これは、心までも一体化してしまったという意味?
ここずっと涙止まらなかった。

このベッドシーンは若い男と女(身体は男だけど)がずっと同じ部屋にいたらそりゃ溜まるっしょ、とかそんな軽いものではないと私は思う。

外部との連絡を絶たれ、あんなに広かった世界に今ではお互いの存在だけ。
自分ひとりの思考に耽ってしまっては、発狂するかもしれない。
互いの声を聞き、肌に触れずにはいられない。

戦争映画などにあるベッドシーンとも似ている気がする。
生きていることを実感するため、埋められない孤独感を他人と体温を合わせることによって少しでも軽くする。
明日死ぬかもしれない、極限の状態で交わされるキスやセックスには(不謹慎だけれども)なんとも言えない美しさがあると思う。
性行為はどこまでも生命の象徴であり、死と隣り合わせの彼らはその行為によって命を輝かせる。

革命には犠牲がつきもので、戦いの末の死であれば名誉とさえ思っている部分てあると思う。
ヴァレンティンは自らの活動を「この世の為」正しいと信じて疑わない。
対してモリーナは、革命が起きるか起きないかに対してはあまり関心がなさそうに見えた。
彼女はただ、ヴァレンティンというひとりの男性に対し、力になりたいと思ったのだと思う。


で、今回の2人の情事。
軽い気持ちじゃないってんなら、つまりここにあるのは「愛」なの?と問われたら、うんと断言ができるほどの確信は持てなかった…。

それは私がモリーナに感情移入してこの舞台を見ていたので、ヴァレンティンの心の動きを見逃してしまった感が否めないことも要因にあると思う。
そこ後悔しかない。
ヴァレンティンの態度の変化にようやく気付いたのはモリーナに手を握ってと頼むところあたりから(遅い)

最初はモリーナのことを「あんた」と呼んでいたけれど、途中から「君」に変わる。
馬鹿にしたみたいな笑い方もしなくなり、モリーナの自分を卑下するような発言に対して怒ったりもするようになる。

中盤あたり、モリーナはヴァレンティンに「友達になりたい」と伝えていた(と思う)
でもヴァレンティンは特に言葉でモリーナに対する想いを言っていなかった気がする(聞き逃してたらごめんなさい)

ヴァレンティンのモリーナに対する感情はなんなのだろう。

モリーナが牢を出る直前、キスしてほしいと頼むシーンがある。
そこでヴァレンティンは彼女の肩を抱いてキスをするけれど、あれは優しさから?と頭にハテナの無限ループ。

でも、その後モリーナがヴァレンティンに代わって外で彼の仲間に連絡することを願い出た(ずっと断ってたのに)とき、「それを言おうとしていたの?」と聞いて思わずしてしまったキスは、先ほどとは意味が違う。

もしバレたらモリーナの命はないはず。
命懸けの自己犠牲を払って外に出るモリーナを、ヴァレンティンはどう思っていたのか。
ここ完全に私の汲み取り能力不足のせいよね><


それで、ラスト。

2人は映画の話をしていた時のように、お互いがどうなるのか語り合う。

ヴァレンティンはモリーナが外で仲間と連絡を取り合い、母親に再び会うことができる。
しかし警察に見つかり、仲間のひとりが君に向かって銃を放つ。君が警察に追われたら、仲間にそうしてくれと頼んでおいたんだ、と話す。

この言葉を聞いたときの、モリーナの表情が忘れられない。
とんでもなく穏やかな微笑みを浮かべて頷くのだ。

モリーナはその結末を受け入れている。
ヴァレンティンの為に死を覚悟で、というか、もはや彼女にとってこの死は覚悟もへったくれもなく自分が辿るラストとして自然なことなのだろう。

続いてモリーナは、ヴァレンティンは激しい拷問を受けた末、病気が進行して死を迎えると話す。
このとき、ヴァレンティンは悲しげな表情で何か言うんだけども(ここ覚えてないのポンコツすぎ)それを即座に否定して、「貴方は自分の理想の為に死んだのよ」と告げる。

その言葉を投げかけられたとき、ヴァレンティンはモリーナに笑顔を向ける。
牢の扉が開き、白い光の中、モリーナはヴァレンティンに背を向けて歩き出す。
扉が閉まると、そこは闇。

はい、号泣。



さて、フィナーレまで観て改めて「究極」の意味を考えてみる。

辿り着いた結論。

この「究極」とは「死」のことではないか。

モリーナがヴァレンティンにずっと語り続ける黒豹女の映画の話。
1942年ジャック・ターナー監督作品キャット・ピープルという実在の映画のことらしい。

自分が猫人間の末裔であり、キスをするだけで豹に変身し男性を殺すと信じたヒロインは、求婚され結婚しても、夫との関係を深めることができない。夫は職場の女性に相談するが、その内愛人関係になる。一方、夫に勧められて受診した精神科医師はヒロインに言い寄るが、ヒロインの手にかかり死ぬ。絶望したヒロインは動物園の豹に殺されるべく、豹を檻から逃がしてしまう。

引用:ウィキペディア

モリーナは主人公のイレーナと自分を重ねていた。
イレーナの自分が豹になるのではという妄想は「男性恐怖症」に対する防衛本能のようなもので、モリーナは(恐らく)男なのに女性として振舞い、男に恋愛感情を持つ自分が他人に受け入れてもらえるはずがないという思い込みをしている。

ヴァレンティンはこのストーリーを聞きながら、俺は精神科医が好きだと言っていた。
理由を言っていたかどうか曖昧なのだけど(本当に後悔しかない)
映画のラストをヴァレンティンが聞いたとき、「イレーナも医者も死ぬわ」とモリーナは答える。

精神科医は変身したイレーナに殺され、彼女は自ら豹に殺される。

キャット・ピープル」は観たことがないのだけど、あらすじを読む限りどうやらキスが重要なキーになっている様子。

キスをすると豹に変身して、相手を殺してしまう。

キス=死

ヴァレンティンはモリーナに「君は男を絡めとる蜘蛛女だ」と言うシーンがあって、つまりこのタイトルの蜘蛛女とはモリーナのこと。
黒豹女のイレーナに殺された精神科医モリーナとのキスで死を迎えるヴァレンティンと考えると、ラストのモリーナとのキスは、ヴァレンティンは自ら蜘蛛女に喰われにいったということ…?
そして牢の外へ向かうモリーナは精神科医を殺してしまったショックで豹の檻を開けて喰われにいくイレーナと同じく、自ら死ににいくということ…?
(でもモリーナの場合はただひたすらヴァレンティンの為にって様子が窺えるからそこはちょっと違う気がするけど)

そう考えるとこれは、心中のお話という解釈も成り立つのかな。

「死」で繋がれた愛なら、究極って感じがする…よね(私はそう思った)


ここまで書いてきて、もうひとつの疑問である「2人の間にある感情は愛なのか」という議題に対してもひとつの答えがでた気がします。

考えた結論としては、愛である、と思った。
キスという行為に対しての意味を「心中」と取ると、ヴァレンティンはモリーナに対して愛を感じていたと思う。


以上が感想&考察でした。



はぁ…原作を読んで2回見に行くことができればもうちょっとは理解できそうな気もする…いや、気がするだけ(撃沈)
そうそう、原作についてググってみたんですが、これどうやらほぼ9割が会話のみで構成されていて最後の方までどこの誰がどんな場所でこの話をしているのか分からないそうなんですよね。
なんだそのアナーキーすぎる構成は…!!

2人舞台、セリフの量が半端なかったし、とにかく凄かった。
なんだろう…本当に完全に物語に入り込んでしまっていて、訳が分からんくらいに泣いた。

それは「大倉さんもいっけいさんも凄い…」という涙ではなく、「ヴァレンティンとモリーナに泣かされた」涙だった。

大倉さんがヴァレンティンをやっている、いっけいさんがモリーナをやっている、ではなく、そこにいたのはヴァレンティンとモリーナだった。
観劇した動機こそ大倉さんに会いたいというオタク心からだったけど、舞台の上の大倉さんは大倉さんじゃなかった、ヴァレンティンだった。
(あ、勿論ね…やっぱり大倉さんのこの角度いいな…なんていう邪な下心が全く無かったと言ったら嘘です)

いやぁ…凄かったしか言えないあたり語彙力酷い。
なんか、どんな言葉で表現しても陳腐になってしまう気がするし、私が生で観た感動の半分も伝えられないんだろうなと思うともどかしい。

それから正直言うと、私は大倉さんの演技どんな感じなんだろう〜とやや不安だった部分もありまして。
だって渡辺いっけいさんといえば、バリバリの演技派俳優さんじゃないですか…(私はspec結のいっけいさんの怪演が忘れられません)
こんな凄い方と共演なんて…しかも2人だけ…。

今までドラマや映画を観た限りでの大倉さんの演技は、下手ではないし真剣に取り組んでるのも伝わるんだけど、上手いかと言われたら特に普通…という印象だったんです(ごめんなさい)

それはきっと、大きな要素としては表情の作り方だと思う。
わりと恋愛ものが多いからキャラが偏っているというのも要因のひとつかもしれないけれど、作品は違ってもあまりそれぞれの人格の違いをそこに見い出せていない印象があった。

あと個人的に一番演技力の違いがでるのは、やはり目の表情と声だと思う。

エイトの中であれば憑依型に近いすばる君(まるちゃんもややこちら寄り)、器用に人格を切り替えられるヤスの演技は、目から下を隠したら別人に思えるほど表情が変わる。

それに舞台は誤魔化しがきかないし、上手い下手が如実に現れる。
あとファンだけが来るわけじゃない、(割合としては少ないかもしれないけど)一般の純粋な演劇好きのお客さんも来てたとしたら「なんだジャニーズかよ」*1とか思われたくないし。

いっけいさんと対等なパートナーとしてお芝居を引っ張っていけているかしら、と(偉そうにも)ハラハラドキドキしていた部分はあったのだけれど、それは杞憂に終わった。
ちょっと心配だわ〜とか思っちゃってたことを東京タワーの屋上からジャンピング土下座で謝りたい。

なんて素晴らしい演技なんだ!ヴァレンティンにしか見えない!!と歓喜したのは言うまでもない。
表情もさることながら、細かい仕草、声の張り方、感情の込め方全て、自身の内部から大倉忠義という人格を切り離し、完全にヴァレンティンが憑依していたかのようだった。
勿論それは、舞台と映像作品の見せ方の違いによるものも大きいのかもしれないし、今まで彼が演じてきたキャラとはまるで異なるからという理由もあるのかもしれない。
しかし、少なくとも私はヴァレンティンを演じた大倉さんから「この役を自分のものにしたい」という熱意をひしひしと感じました。

初ストレートプレイ、初2人芝居、初めてだらけのプレッシャーの中、よくぞここまで仕上げてきたと感動しました。
これは役者・大倉忠義として得られるものがとても大きい作品になったのではないかなぁ。

そしていっけいさんですが…もうね、さすがとしか言えなかった。
あらすじにゲイって書いてあったからどんな感じなのかなと思ってたら…まじで圧巻。
細部に至るまで、女性らしい仕草を完全トレースしていた。
一番衝撃を受けたのは、座り方。
マーメイド座りとかお嬢様座りとか色々呼び方がある、あれです←
男の人だとこの座り方をすることがないから、身体がうまく曲がらなくて難しいって聞いたことあります。
凄く自然に、ふわっと座るんですよ…。


いやはや、こんな素晴らしいステージを観ることができて、本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。

千秋楽まで、どうか無事に走り抜けられますよう願っています!!


あ、わりとあっさり流してますが、ベッドシーンあるとは思わなくてびっくりしました。

*1:※私は昔激しいアンチジャニーズだったので、(タレント本人に責任はなくとも)ついそう思ってしまう世論の気持ち分かるんです。

エイトさん、メトロック2017出演決定おめでとう!!

こんばんは、最近よく現れるゆづきです。
季節の変わり目ですが、皆様体調崩されてないですか??
私はブログお休み宣言をした当時はかなりやばかったですが、もうだいぶ回復致しました。
皆様もご自愛くださいませ。


さーてさて、とってもおめでたい話題がきましたね!!
関ジャニ∞、メトロック2017出演決定!!!!!
書かずにはいられなかった!!おめでとうーーーーーーひゅーひゅー!!!!!
メトロックファンの方々からは賛否両論、バンドが観たいのになんでジャニーズなの?などなど厳しいご意見が飛び交っているようですが、のんのんのん、舐めてもらっちゃ困りまっせお嬢さん(誰)
エイトさんは確かにジャニーズですが、バンドの技術は(関ジャムの影響もあり)かなり向上しておりますし、所詮ジャニーズ、所詮アイドルがバンドかじってる程度ではないのです!!!!
まぁ、ここで言ったところで誰にも響かないと思うので(笑)
それはエイトさん方に任せましょう♡
バンドファンの方々に衝撃を与えて帰ってきてもらいたい!!
チケット完売後に参戦発表したということはアウェイでの挑戦を望んだってことだと思うし、彼らの向上心と侍魂を讃え、電柱の影からひっそり見守り隊(*・ω・*)

先週の関ジャムセッションでのまるちゃんのベースの音がとても好きでした。
柔らかくて滑らかな音だった…。
チューニング?指の動き?なんだろう…。


だがしかし、お留守番eighterとしては彼らの勇姿を映像でいいから一目見たい…。
メトロックはAmebaTVで中継されると知ったのですが、当日は仕事…あれって録画できないよね(涙)と思っていたら更なる衝撃

エイトは中継すらなし

友人に教えて頂き絶叫しました。
これだからジャニーズは…!!
いつまでも昭和で止まってちゃダメだよーーーーー!!
SNS解禁まではしなくていいけど(乗っ取りとかリスクあるし)でもさ、写真出なかったり映像流さなかったり…正直そういう仕組みだからジャニーズタレントて「名前は分かるけど顔が浮かばない」「顔と名前が一致しない」てことが多くあると思うのよね…勿体無いって…。
脱線すみません。

これはもう関ジャムさんにおまかせするしかない(他力本願)
公式サイトからご意見送れることを教えて頂いたので、早速送りました。
でも先日の関ジャムで事前リハの映像出たってことはカメラ入ってるってことだし、本編+舞台裏完全密着スペシャルとかやってくれるんじゃ?などとかなり強欲な希望的観測をしております←
2週に渡ってでも全然構いませんので、どうか本編はノーカットでお願いしたい。
やってくれますよね…関ジャムさん?(圧力)


なんの曲やってほしいか考えちゃいますよね!!行けないけど(笑)
NOROSHI、象、東京中毒は鉄板かな?
あとは個々の色が出ると思いますが…私はキングオブ男バンドver、ロリコス、侍唄を入れてほしいです。
そしてこれは絶対ないでしょうけど、DyeDバンドver。
私、強火DyeD担なんです(真顔)
アコースティックは観たことあるけども、バンドverはないので…ないな、うん(笑)

ライオンってあるんですかねぇ…事前リハの映像で亮ちゃんの後ろにアコギが置いてあったらしく、ライオン来るんじゃって予想が上がってるみたいですが…。
てか全然気づきませんでした、みんな凄い…細かいところ見てるな(笑)


なぐりガキ新春特盤での彼らの姿を見て、そしてまるちゃんの大切な日での言葉を見て、改めて私は彼らが大好きで、応援できることを嬉しく思いました。
現状に満足せず、貪欲に新しいことへ挑戦していく姿、それはまさに侍。
彼らの姿勢を見習い、私も夢に向かって日々頑張っていこうと思います。
最近凄く精神的に落ちることが多かったけど、元気が出ました。

勇気をありがとう。

フェス成功願ってます(❁´ ︶ `❁)*✲゚*

録画消費している最中、トガキハウスに死ぬほど笑った話

皆様こんばんは、お久しぶりのゆづきです。
Twitter&blogお休み中の今、共に一切タイムラインを見ていないので皆様の感想などなど全く分からず、完全に時代取り残され子でございます。
お星様のお返しもせず、ただただ時々一方的にスイッチ入ってだーーーーーーっと自己満を垂れ流すわたくしをどうかお許し下さいませ…c⌒っ.ω.)っ

この頃、録画消費が追いつかず必死です。
エイトさん絡みの番組以外にもドラマやら映画やら録り溜めてて一気に見るので数時間かかります。
そんな中、数週間分のクロニクルをまとめて観ていたら見事にツボった。

トガキハウス

冗談抜きで萌えに萌え、涙を垂直に流しながら笑いました。
速攻ディスクに焼きましたよ、これは永久保存版だ。
それでもういても立ってもいられず、この記事を書いている次第であります。

本家テラスハウスは全く観ていなかった私ですが、このオープニングやみんなの名前が出てくるときのフォントとか演出はなんとなく知ってたので、オマージュのクオリティの高さに感嘆。さすがクロニクルスタッフ。
いや、皆様そう思ってらしてると思いますがこれは神企画です。

とりあえず以下、激萌えしたポイントをただただ上げていこうと思います。
私のblogなんてね、所詮自己満だからね!!


・おりょんさんの前髪が降りててリラックス感が出ているおうちスタイル最高。

・すばるのチェックのロングガウン萌え。
私ですね、ロング丈のお洋服が大好きなんですよ、見るのも着るのも。
普段9割ロング丈着てます(身長低いのに)
おすばさんのスラッとした細身のお身体にひらひら舞うガウンは神。
膝丈っていうのが丁度いい。

・モニターにセリフが出るたびに一度上を向くメンバーかわゆう。

・演技になると時々何故か急に標準語になるおひなたん愛しい。

・イライラした素振りで貧乏ゆすりしながら半笑いでおひなを見上げるおすばさん…!!

まるちゃんの不自然過ぎる笑顔に何故か恐怖を感じた(でも凄い笑った)

・その後の怒りスイッチ入ったおすばさんのガチギレの目がw怖すぎるwww
(ここでの忠義たんのビクッとした素振り激かわ)
あとね、怒る直前少し伏し目になったおすばさんの美しい横顔に釘付けです←

・おりょんさんからのまるちゃん不信感疑惑キラーアドリブの影響で「空気を変えようとおちゃらける」「小粋なアメリカンジョーク」の流れが過酷さを増していてつらwww

・ストーリーを展開させる重要なセリフが求められる役割は全ておりょんさんでしたね。
ト書きを見て真顔でアドリブを考えるりょーちゃん、さすが役者業もバリバリこなすデキる男。
これはクロニクルスタッフのりょーちゃんアドリブセンスへの期待の現れなのかしら(・∀・)ニヤニヤ

解散は嫌だと泣く忠義たん可愛すぎて辛い。
よかーまさんに泣きつくあたりがもう…♡

・ミュージカル風って言われて「大倉!」って呼びかけるときの声が心無しか太くなってるよかーまさんじわる。

・太陽も笑ってるよと言われたときのえ?っていう忠義たんのお顔、子犬みたいで可愛い×100000000

・歌いながら恥ずかしそうにしてるよかーまさんが好きです←

・踊ろうよ!ってひらひら動いてるおひなを見てワイプのおすばさんが「やばい奴やん」って言ったの腹が捩れるほど笑った。

・山崎さんとのコラボミュージカルお題「励まし」
大丈夫だよ→本当かしらって何故女役www
傍にいてね→傍にいるよ…ちょっと山崎さん、そこ代わry

ヤスのお姉ちゃんの悪口を陰で言っていた。
嘘だとしてもきついwww

大倉2:50のキレと笑撃。

・倉安相撲も見たかったけど、松原.相撲も俺得でした。
おひなのプリケツがお昼からこんなアップで地上波に流れてしまうとは…!!
おすばさんの動きに合わせて足を屈伸するように上下するおひな…いいよねこのふたりの世界。
その後の良かったよお前てセリフと尻を撫で回すおすばさんの手がいやらし過ぎて放送事故。
押し倒して迫るおすばさんのガウンがバスローブに見えてしまって生々しさ倍増で破壊力ぱない。
どうでもいいけどおすばさんの本気のラブシーン演技観たい、観たすぎる。

・で、最後の安田森進一さんに全て持ってかれた。



はぁぁぁぁ面白かった…_(―ω― _) ⌒)_
ひなと一回だけあんねんで締められた第一回トガキハウス、次回も期待しております。

できればゲスト無しで(・∀・)

今回の山崎さんみたいな立ち位置だったら全然いいです!
でも下に小さく住人募集て書いてあったね…。


うううううん、いいんですよ、ゲストさんが来たら来たでまた違う面白さがあるのも事実だし…。
でも幼少期からザ・テレビっ子だった私はバラエティも大好きでよく観てたんです。
だからこんな偏見がある。

無駄にゲストが来るバラエティ番組は企画が死ぬほどつまらないタレント頼りのD級バラエティだと。
※ゲストありきのトーク番組などは除く

あとこれただの個人的な苦手意識なのですみませんなのですが、私番宣がめちゃくちゃ嫌いなんです。
なのでエイトメンバーの面々が番宣絡みの個々のお仕事に出てるときも見れません。
頑張っていることは重々承知…唯でさえレギュラーあるのにお仕事増えて大変そうだしお身体にお気を付けてとも思っております。
だがしかし、番宣だと思うと見れないんです。
なんでだろ、自分でも昔から不思議に思ってる。

まずバラエティはですね、企画で勝負してもらいたいんです(偉そうにすみません)
クロニクルはすでに企画がズバ抜けて面白いじゃないですか。
だからゲスト呼ばなくても充分なんじゃないかな〜と思ってるんですよね…制作者サイドの事情もあるのかとは思いますけども。

あと何よりも7人でわちゃわちゃしてる姿が観たいんです。

まぁこれがきっと一番の理由なんです(笑)
カメラ目線も最近はゲスト率が高くなってきたし、以前と比べると他の企画もゲスト率上がってきた気がする。

そういうものなのかな…(´・ω・`)サミシス

なぐりガキの新春特盤の雰囲気が好き過ぎる。
あんな感じの彼らをずっと見てたいという我儘オタクの戯言です、失敬!!