ここに確かに存在している感情の証明

箱推しの村上担。特に三馬鹿に湧きがち。

10代の頃に好きになった音楽は一生ものって話

どうもどうも、ゆづきです。
先日、ちょっと前に関ジャムでやっていたギター特集の録画を観まして…それにGLAYのひさ坊(HISASHI君)が出ていて懐かしいわ〜と思いました。
私は昔GLAYのファンで、小6のときに初めて行ったライブで先端から火花を噴くギターを弾いていたひさ坊…あれを観たときの衝撃が忘れられない(笑)
彼は幼少期からずっとメカやアニメなどが大好きだったそうで、FC会報もラジオもネタがマニアック過ぎて当時の私は全くついていけてなかったな(笑)
まさかギターに光線銃まで埋め込んでいたとは…。

懐かしいな〜と物思いに耽りながら、お世話になっているブロ友さんと色々お話させて頂いていたんですがね。
そのとき、こんな話が出たのでブログに書きたくなったんですよ。


10代の頃に聴いた音楽は、人生の柱になる説。


生まれてから10代を終えるまでに得た影響って、きっと一生ものなんだろうなと思うんです。
最近ちょっとお疲れ気味だったので、GLAYも含め、ふと昔ファンだったアーティスト達のCDを引っ張り出して久々に聴いでみました。
以前はよく聴いてましたけど、エイトさんにハマってからはちょっとご無沙汰だったので…これがまた不思議と落ち着くんですよ(笑)
それで思ったのです、きっと私はこのアーティスト達の曲を一生聴き続けるんだろうなと。


以下、20歳を迎えるまでに私がFCに入る(入りたいと思っていた)くらい好きになったアーティスト遍歴です。
※()内は主に新譜を購入したりライブに行ったり、リアルタイムで追い掛けていた時期。

GLAY(11歳~16歳頃)
倉木麻衣(13歳~16歳頃)
DIR EN GREY(14歳~20歳頃)
the Gazette(18歳~20歳頃)


紅白で「HOWEVER」を歌うGLAYをテレビで観て、人生で初めてハートを射抜かれた11歳の冬。
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ちなみに推しTAKURO氏。
お年玉とお小遣いを集めてFCに入り、ライブも何度か参戦。
小中学生にチケット代7,000円(確か)は大金だったぜ。

その後、テレビの歌番組でたまたま「Love,day after tomorrow」のMVを観て、倉木麻衣やんに惚れたことからまいやん推しが始まる。
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歌声もそうだけど、あの圧倒的な美ジュアルとミステリアスなところに惹かれたんだと思う(当時はメディアコントロールされててほとんど露出がなかった)
FCに入りたかったけどお小遣い生活の中学生な上にGLAYと掛け持ちなので厳しく、円盤を買うくらいしか貢献することができなかった。

それと時を同じくして、2000年代初期V系時代がスタート。
ここで出会うのがデビューしたてのDIR EN GREY
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小学校からのクラスメイトだった女子が何故か突然狂信的なDIRファンになり、まるで人が変わった。
家に遊びに行けば壁一面DIRのポスターで真っ黒、ヘドバンシャウト曲が連日連夜流れ続ける。
曲を(半強制的に)ずっと聞かされ続けていたので、CDを持っていないのにカラオケで歌えるという不思議現象。
その影響でDIRに興味も持つも、クラスメイトも含め当時は先輩ファンが怖すぎてとてもじゃないがファンになったなど言えず、こっそり円盤を買っていた。隠れキリシタンかよ。
ようやくライブに行けたのは高校生になった頃。

高2くらいに本格的にDIRにハマり始め、その頃はもうGLAYとまいやんはほとんど聴かなくなってしまっていた。
この頃から私のバンギャライフが始まる。
様々なV系バンドを聴き漁っていき、特にハマったのがthe gazette(ガゼット)。
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高校~専門学校卒業、20歳で社会人になるまでバイト代は全てDIRとガゼの円盤やらグッズやらライブ代に注ぎ込み、ロリータ姿で原宿に行くという典型的なVヲタ生活を送る。

社会人になってからは仕事を覚えるので精一杯、休みも全然なくてライブも行けなくなり、小学生の頃からスタートした私のオタク生活は幕を閉じた。

以上が私の10代音楽遍歴です。
バンギャ生活が自分の人生の半分を占めてるとか思ってたけど、期間にしてみると3~4年くらいだったと気付いてびっくりしている。恐らく内容が濃すぎてとんでもなく長く感じたのだろう。

で、20代の頃は特定のアーティストにハマることなく過ごし、29歳でエイトさんと出会うことになりました。
しかしその間も上記のアーティスト4組に関してはCDやDVD、FC会報、集めたグッズなど全て捨てずに取っておいてあり、普段から結構よく聴いてて、ふと新曲を聴いたらやっぱりいいな〜と思って買ったりしてました。
でもそれって嫌いになってとか、興味がなくなって追いかけなくなったわけじゃないからなんですよね。
歳と共に自然と聴かなくなったり、他のアーティストにハマって結果的に離れることになっただけで。
※DIRに関しては2007年以降、一年のほぼ大半を海外に行ってしまっていた&ライブに来る客層が一気に変わって楽しめなくなってしまったことも要因。だがしかしDIR自体は好きなままだった。

思うんですけど、これって多分ジャニオタ的に言えば長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い茶の間なんですよね、きっと。

それでなんとなく考えたのですが、ジャニオタの担降りについて。

担降りの定義は様々かと思います。
ですが、よく見るのは議員辞職の記者会見原稿のようなとんでもなく長い決意表明記事をブログに書き、禊の如く今まで集めたグッズや円盤達を洗いざらい売り払い、ファンだった思い出すらも消す勢いかと思うほど身辺整理してすっからかんになさっている(らしい)もの。

あとネットの検索ワードで「ジャニオタ 辞める方法」とかありますよね、これ初めて見た時びっくりした。
ヤク中アル中とまではいかないまでも…禁煙を決意した喫煙者みたいだなと。

もう好きじゃなくなったから辞めたいと思うのか、それともまだ好きだけど何かしらの事情で辞める方法を探しているのか…理由はそれぞれだと思いますが…。

担降りの定義が十人十色なら、上記のような担降り宣言からの一切合切手放しする方もいれば、しない方もいるかと思います。
だがもし、担降りの定義に「今まで集めた諸々を売り、今後テレビも雑誌も見ずライブも行かず音源も一切買わない」という要素があるのだとしたら、恐らく私はよっぽどの事がない限り一生エイトから担降りすることはない、そんな気がするのです。

エイトさんは音楽から好きになったわけではなく、アイドルという自分的未知の領域の方々であるわけで、当然彼らの楽曲は自分的に「ハマる」「ハマらない」がハッキリあります。
でもこれはしょうがないのです、夜ふかしからのイフオア落ちで興味を持ったバラエティ畑からきたファンなので、曲がどうかというのはまた別のお話なのです。

でも追い掛けているうちに彼らの楽曲(特にバンド曲)が好きになりましたし、ライブも楽しい、テレビもラジオも楽しい、こんな幸せをありがとう!!状態になるまで惚れてしまったので、一時的に離れることはあっても担降り宣言することはないんじゃないかなと思うんです。
よっっっっぽど何かあって嫌いになっちゃうって事がない限り(笑)

あれ、10代の頃に聴いた音楽が人生の柱になる話どっかいっちゃったな。
でもきっと、これは多くの方に当てはまる説なんじゃないかな〜だと思いましたよん。
10代でジャニーズにハマった方は、恐らくずっとジャニーズ好きなんじゃないかなぁ。
くっついたり離れたりを繰り返して、一生聴いていく気がする。
多分、その頃に聴いたアーティストの楽曲が自分の「好きな音楽」のベースになるのでしょうねぇ…と思っております。
あとやっぱり、思春期の頃に得た影響って特別じゃないですか?


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凄く話変わりますが、私の中でまるちゃん愛が増しています。

わりと前からだったんですけど、具体的には去年のエイタメのときからですかねぇ。
エイタメ札幌公演でまるちゃんが乗ったトロッコが私の正面で止まったのでまじまじとガン見していたわけですが、そのときに改めて丸担さん方がまるちゃんに惹かれる理由が分かった気がしたのです(勿論理由はこれだけじゃないとは思うよ!)
ひとりひとりしっかり指差して送るファンサ、めちゃくちゃ高速だけど決して雑ではなく、ひとつひとつを完璧にこなしている。
ライブDVDでも見てはいたけれど、部分的にしか抜かれてなかったから分かっているようで分かっていなかった。
あれだけの数を短時間でこなすなんてもはや職人技。

それから、クロニクルにゲストで来た上戸彩ちゃんがまるちゃんと話してると幸せな気持ちになるって言ってたのも、なんかじーんときたな。

あと誰か名前忘れちゃったけど(おい)ジャニ勉にゲストできてた芸人さん?が、カレー屋でたまたままるちゃんに会って「覚えてないだろな〜」と思いながら会釈したら寄ってきて挨拶してくれたとか。
一度しか会ってないのに顔覚えてるって普通に考えて凄くないか、私はすでに忘れているぞ。
彼らは我々一般ピーポーと違って恐らく普段仕事でたくさんの人に会ってるし、一期一会なんて当たり前みたいな世界の人なのに。

あと最近一番効いたのはあれかな…レンジャー。
有料コンテンツなので原文載せられないのが辛いところ。
先週のちょっと長文のやつです。
なんか内容だけ見ると突然どうした?感がわりとあるけど、私は効いた…彼の言葉が効いた…。
イムリー過ぎてボディブロー喰らった気分だったけど、まるちゃんて結構そうなんですね、一番欲しい言葉をくれるというか。
まぁたまたまっちゃ、たまたまなんですけどね。

まるちゃんてやっぱり、アイドルとしてのプロ意識がすこぶる高いと思うんです。
「誰かのため」に生きてる、そんな人だと思うんです。
それを人は優しいという言葉で表現するけど、まるちゃんは優しいすら超越している気がする。
人の喜ぶ顔が見たいっていうのは人間に本来備わっている欲求ではあるが、まるちゃんの場合、それは完全なる自己犠牲の上に成り立っていると思わされる。

なんだか私は、ふとまるちゃんに対して寂しいと思う気持ちが湧くときがある。

先日発売の音楽と人のインタビューを読んでも感じた(私はね)
なんだろう、陰日向というか、常に自分の立ち位置を誰かの下に置いている感じ。
それはね、まるちゃんが大好きなメンバーの為に頑張ろうとしているのは重々分かっているし、彼にとってはそれが幸せなんだろうと思う。

でもね、こうも思う、貴方が主役になってもいいんだよと。

自己評価が低そうというか、卑屈とは違う、謙虚…が一番近いのかな。
表立って自分を全面に出さないというかね、でもそれが彼の魅力のひとつでもあるのかもしれないけど。

なんていうのかな、エゴサもそうだけど「本来の自分」を圧倒的に遠くに置いて、「外から見られる自分」に常にフォーカスしている生き方。
まるちゃんの人生はまるちゃんのもの、貴方は自分がこうありたいと思う自分でいられていますかと。
「みんなに求められる丸山隆平を生き続けることが彼の幸せなら、私は何も言わん。
でもそれって、たまーに凄く苦しくなりません?って聞いてみたくなるんですよね。

勿論、それがアイドルというものであって虚像を演じる職業の本質なわけですが。

丸山隆平さんっていうのはアイドルの前にひとりの人間。
「自分は何者か」って思春期辺りから考え出すテーマであるけれど、まるちゃんはどこか強迫観念にも似た様相で「アイドルとしての自分」をキープし続けているように見えるときがあるのです(あくまで私は)

アイドルのペルソナを取った、何者でもない自分を彼はきちんと愛せているのか。

巨大なお世話であることは承知の上で、そう思ってしまうことがあるのてす。

CanCamのインタビューでも、「ありのままの自分を好きになってもらおうなんて…」みたいな発言があったけど、たったひとりくらいになら、その人の前だけでは自分を許してあげてもいいんじゃない?

アイドルとしての生き方を選んだのは彼自身で、その為に一般人には考えられないほどのたくさんのことを犠牲にしてきたと思うし、これからもしていくと思う。

まるちゃん結婚願望ないかもしれないけど、私は我儘で重いオタクだから勝手にふと願ってしまうことがある。
いつか、どんなに先でもいいから彼が生身の自分をさらけ出せる人と幸せになってほしいなと。
アイドルとしてのまるちゃんではなく、丸山隆平さんを見てくれる人と、心安らかに過ごせる時間を与えてあげてもらいたい。

私はきっとこれからも彼からたくさんの幸せをもらうだろう、彼自身の幸せと引き換えに。
いちファンにできることなんてせいぜいお金落として売上に貢献することくらいだと思うけど、彼らがアイドルとして貪欲に突き進む限り、私は応援をしていきたいと思う。

よかーまさんの次に絶対幸せになってもらいたい人なんだよ、まるちゃん。




…なんか最後とりとめのない話で終わってすみません(涙)